イラスト置き場
ミニ語。
プロ野球とゲーム(サガシリーズ)好き。
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No.527
@any
2024/1/19 23:56 (1年以上前)
私がどのくらいメリー(MERRY)のことが好きだったかについては、前ブログに綴ったこの文章が全てだと思う。
随分前(2020年)に書いたものなのだけど、共感してもらえたり、「ようやく泣けた」って言ってもらえたりしたことがとても嬉しかったのを覚えている。
「心から愛したバンドへの狂想曲」
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MERRYが,本当の本当に大好きでした。
過去形にするのを躊躇いたくなるくらい,大好きなバンドだったんです。
でも,今のメリーは,私の好きだったMERRYとは違う。客観的な立場から見ると、曲も方向性もメンバーの人格も色々と歪みが出てしまっているように感じる。
良いライブをするバンドだったからこそ,現状が歯がゆくてしかたない。盲目から冷めただけと言い切るには否定できないほど悪い方向に転がっていると思う。
私の中でMERRYを象徴する曲が,【collector】です。
群青というシングルのc/wに収録されている曲。
曲の雰囲気を例えるならば,見世物小屋。不気味だし,近寄りがたいのだけど,その奇妙で不可思議な魅力には抗えなくて,好奇心からそっと覗き込んでいる内に目が離せなくなる。
まさに”悪趣味”であり,”掃き溜め”に足を踏み入れるような行為。けれども,その掃きだめがやけに居心地が良い”花園”であるから困ったもので。
”曖昧な感覚が 錯覚を超えてゆく 鮮やかな夜の中 消えてゆく 消えてゆく
絶頂へ駆け上がる ひくひくと 狂おしく 唄っているよ 暗いメロディ♪”
【collector】のサビで唄われる上記のフレーズが,まさにMERRYというバンドの魅力だと思います。
MERRYの何が良いのかと問われたら,明確に答えることはできません。
ただ,彼らの曲を聴いている内に,奇妙さも不気味さも何もかもが”曖昧な感覚”に溶かされていくのはわかります。良さは確かにあるし,感じられるのだけど,あまりに曖昧で掴み取ることができない。理性でも理解でもなく,本能と感覚が酔いにも似た快楽を与えてくれる。
こんな奇妙な感覚を与えてくれたバンドは後にも先にもMERRYだけです。
でも,今のメリーにはこの感覚が欠けてしまっているように思います。
メリーからMERRYになって,MERRYからメリーに戻る。
ガラはそんなに深い意味はない的なことを言っていたけど,私にとっては十分に大きな変化でした。
ゾンビツアーで火がついて,NOnsenSe MARkeTの最上階がピークで,最後の輝きが2017年の野音だったなぁ。エムオロギーの曲は好きなんだけど,バンドの方向性は定まってなかったから迷走状態でどんどん衰えていく姿を見るのが苦しかった。
こうして振り返ってみると,テツさんの離脱というバンドの危機を乗り切るため,必死で這い上がろうとする彼らの姿が好きだったんだろうなと思う。
テツさんが怪我をして復帰が難しいということを知ったのは、2013年、遠征先の松山でした。
1年ぶりのMERRYのライブ&インストアイベントということで、わたしはとても幸せな気持ちで松山に向かいました。けれども、よりにもよってその前日にテツさんがライブを途中で離脱したというニュースを知りました。
いったい何があったんだろう……。大丈夫なのかな……。
そんな不安と戦いながらインストアイベントの始まりを待っていると、テツさん以外の4人が店内に入っていくのが見えました。本来なら、ギター隊だけのイベントのはずなのに。
そこで語られたのは、テツさんがしばらく復帰できないという最悪の現実でした。
そこから、わたしは2016年の2月…5人のMERRYが復活するまでの一部始終を見届けました。
完全復帰の最上階ライブは、本当に嬉しくて感動して…そこで満足し切ってしまったのだろうな、きっと。
2015年渋谷公会堂で目にした「群青」の感動や,ラムフェス京都の「Happy life」で得た幸福感は今でもありありと思いだせるほど眩しい思い出です。たくさんのライブを見てきたけど,この2曲は格別。
NOnsenSe MARkeT(B1~最上階)と15sheepツアーは本当に楽しかった。戻れるならもう一度あの頃に戻って全箇所回りたいくらい。
と綴りながらメリーの曲を流していたら,「閉ざされた楽園」のアコースティックverが流れてきて,あぁ良い曲だなぁとしみじみ感じた。ライブで聴くともっと良いのだよなぁみんなで合唱するところも好き。
こんなにも大好きな曲がたくさんあるのに,楽しかったライブの思い出もあるのに。
どうして一番新しいミニアルバムの曲は受け入れられないんだろう。
いけるかと思って挑戦してみたけど……うーダメだ……。
ただ一曲だけ,「最後の晩餐」だけは聴ける。これが最後の輝きにならないことを祈ります。ガラの書くこういう感じの歌詞が好きなんだけどな。
上記の文章を書いてからしばらくたった今年の2月。健一の脱退が発表されました。
居ても立っても居られず、急遽神田明神ホール行きを決め、いざ東京へ。
そこで目にしたのは、残酷すぎる現実でした。
健一は、バンドマンのくせにファンとの交流が苦手で、人見知りで、口下手な人です。
握手会やサイン会でも目を合わせてはくれないし、フリートークの時は手が震えていました。
でも、ライブが始まると人が変わったように全力でギターをかき鳴らし、ステージ上でグルグルと円舞する姿を見せてくれるのです。
そんなギャップに魅せられて彼のファンになりました。
脱退が発表されてから始めてのライブ。アンコールでとうとう健一は口を開きました。
普段はMCをしない彼が、声を震わせながら、涙を堪えながら、
「みんなが新しいことに挑戦して頑張っているのに、自分は変われなかった。」
「自分の力不足ですみません。」
と謝ったのです。謝らなくても良いことを、ファンに向かって、謝った。
わたしには、拷問にしか見えませんでした。メンバーもスタッフも、どうしてこんなに健一を追い詰めるんだろうと怒りすら覚えました。
フォローらしいフォローもないまま、ライブは続行します。
奏でられる曲たちは、どれもこれも好きだった曲。全力で暴れていたはずの曲。
音は感情を無くし、歌声は嘘にしか聴こえない。
太陽のように輝いていたバンドが、眼前で急速に錆びついてボロボロに崩れ落ちていく様子を見て、哀しみと怒りとやるせなさに襲われました。
しかも、錆びつかせている原因は、あんなに大好きだったはずのメンバー自身。
"狂い咲け 燃えて散れ 闇に降る星になれ 羽を広げ 歪んでる この世界を切り裂いて"
いつかのライブで「梟」を歌うガラの背中を見て、
「この人たちなら、もっと高いところまで行ける。どこまでもついて行こう」
と誓ったはずなのに。信じられたはずなのに。
音が耳に届いても、姿を目で認識できても、心に届かなければ全くの別物になるのだということを知りました。
立ち尽くし、泣きつくし。
ライブが終わったあとに残ったのは、涙で濡れたマスクと、
「あぁ、わたしの好きだったMERRYはもうどこにもいないんだ」
という虚しさだけでした。
コロナウイルスの関係で、健一のラストライブも延期されたけど、これからどうなるんだろう…。本当にいろんな意味でタイミングの悪いバンドだと思う。
ほんの少しだけでも音楽の神様に愛されていたならば、違う未来があったかもしれないのに。
追記(7月26日)
コロナウイルスの影響でライブ活動の再開もままならない中、メリーサイドからとんでもない要望が出されました。
それは、8月からライブツアーをするためにファンから寄付を募るというもの。
クラウドファンディングでもなく、事務所を通してでもなく、メンバー個人の口座への寄付。
最初に目にした時は混乱してしまって、詳細ページもまともに読めなかったけれど、冷静になって読み返してみると色々と酷い内容だと気づきました。
案の定、ネット上での反応は酷いもの。上記したように、メリーはどん底の状態にいるというのに、わずかに残った献身的なファンの心すら折っていくなんて正気の沙汰じゃない。裏を返せば、それだけ追い詰められているということなのでしょうが……。
PMのテツさんの精神状態が心配……潰れなきゃいいけど、youtubeやTwitterでリアルタイムの反応が見れる現代なら、いつ潰れてもおかしくない気がする…。
今回の寄付の件は、私のように既に心が離れている人の心も抉るだけのダメージがありました。
大好きだった頃のMERRYが戻ってくる可能性はゼロに等しいって理解してはいたけど、底無しに落ちていく姿が見たかったわけじゃない。
せめて、最後は笑顔で見送りたいと思っていた。別れ……健一のラストライブくらいは、リアルタイムの5人の音を余すことなく体感したいと思っていた。全身全霊で感情を溢れさせたいと思っていた。
キラキラ輝いていて、高い目標に向かって羽ばたこうとしている彼らを、偽りでもいいから見たかった。
わからない。
目の前の画面に映る彼らはこんなに魅力的なのに、歌も音も曲も心を掴んで離さないのに。その先の未来が、どうしてこんなに真っ暗闇なのか。もがいてももがいても光が見えないところまで来てしまったのか。
寄付をして過去に戻るっていうなら出せる分だけ出す。もう一度2014〜2017年の輝きを見せてくれるなら、あの頃に戻れるっていうなら戻りたい。
でも、健一の脱退が決まっている以上、そんな未来はありえない。過去は戻らない。MERRYじゃないナニカを追いかけるために意味不明なお金を出すなんて、わたしにはできません。
今からでも良いから、せめて「9月の野音を実施するための寄付」に変えて欲しい。
ライブハウスでツアーをするのは無理だとしても、野外かつ広い野音ならまだ希望がある。
それじゃライブハウスのキャンセル料が払えないっていうんなら、これまでの感謝と健一への餞別も兼ねてちょっとは無理するから……。頼むから野音だけに絞って欲しい。
もちろん、寄付という形式に疑問がないわけではないですが、野音で健一のラストライブを見る方法がそれしかないって言うんなら、進んで騙されにも行きます。それだけ盲目なNMNLだったんだから。
色々書き連ねましたが、単純明快に今の気持ちを表すならば、
辛い。
ひたすらに辛い。
この文章を打ちながら、何度泣いたかわからない。
中途半端に情報を追いかけちゃうから辛いのかなぁ……。全部シャットダウンしちゃったら楽になれるんだろうけど、楽しかった思い出も大好きなライブ映像も定期的に振り返っちゃうから完全に切るのは無理……。
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「心から愛したバンドへの狂想曲」
MERRYが,本当の本当に大好きでした。
過去形にするのを躊躇いたくなるくらい,大好きなバンドだったんです。
でも,今のメリーは,私の好きだったMERRYとは違う。客観的な立場から見ると、曲も方向性もメンバーの人格も色々と歪みが出てしまっているように感じる。
良いライブをするバンドだったからこそ,現状が歯がゆくてしかたない。盲目から冷めただけと言い切るには否定できないほど悪い方向に転がっていると思う。
私の中でMERRYを象徴する曲が,【collector】です。
群青というシングルのc/wに収録されている曲。
曲の雰囲気を例えるならば,見世物小屋。不気味だし,近寄りがたいのだけど,その奇妙で不可思議な魅力には抗えなくて,好奇心からそっと覗き込んでいる内に目が離せなくなる。
まさに”悪趣味”であり,”掃き溜め”に足を踏み入れるような行為。けれども,その掃きだめがやけに居心地が良い”花園”であるから困ったもので。
”曖昧な感覚が 錯覚を超えてゆく 鮮やかな夜の中 消えてゆく 消えてゆく
絶頂へ駆け上がる ひくひくと 狂おしく 唄っているよ 暗いメロディ♪”
【collector】のサビで唄われる上記のフレーズが,まさにMERRYというバンドの魅力だと思います。
MERRYの何が良いのかと問われたら,明確に答えることはできません。
ただ,彼らの曲を聴いている内に,奇妙さも不気味さも何もかもが”曖昧な感覚”に溶かされていくのはわかります。良さは確かにあるし,感じられるのだけど,あまりに曖昧で掴み取ることができない。理性でも理解でもなく,本能と感覚が酔いにも似た快楽を与えてくれる。
こんな奇妙な感覚を与えてくれたバンドは後にも先にもMERRYだけです。
でも,今のメリーにはこの感覚が欠けてしまっているように思います。
メリーからMERRYになって,MERRYからメリーに戻る。
ガラはそんなに深い意味はない的なことを言っていたけど,私にとっては十分に大きな変化でした。
ゾンビツアーで火がついて,NOnsenSe MARkeTの最上階がピークで,最後の輝きが2017年の野音だったなぁ。エムオロギーの曲は好きなんだけど,バンドの方向性は定まってなかったから迷走状態でどんどん衰えていく姿を見るのが苦しかった。
こうして振り返ってみると,テツさんの離脱というバンドの危機を乗り切るため,必死で這い上がろうとする彼らの姿が好きだったんだろうなと思う。
テツさんが怪我をして復帰が難しいということを知ったのは、2013年、遠征先の松山でした。
1年ぶりのMERRYのライブ&インストアイベントということで、わたしはとても幸せな気持ちで松山に向かいました。けれども、よりにもよってその前日にテツさんがライブを途中で離脱したというニュースを知りました。
いったい何があったんだろう……。大丈夫なのかな……。
そんな不安と戦いながらインストアイベントの始まりを待っていると、テツさん以外の4人が店内に入っていくのが見えました。本来なら、ギター隊だけのイベントのはずなのに。
そこで語られたのは、テツさんがしばらく復帰できないという最悪の現実でした。
そこから、わたしは2016年の2月…5人のMERRYが復活するまでの一部始終を見届けました。
完全復帰の最上階ライブは、本当に嬉しくて感動して…そこで満足し切ってしまったのだろうな、きっと。
2015年渋谷公会堂で目にした「群青」の感動や,ラムフェス京都の「Happy life」で得た幸福感は今でもありありと思いだせるほど眩しい思い出です。たくさんのライブを見てきたけど,この2曲は格別。
NOnsenSe MARkeT(B1~最上階)と15sheepツアーは本当に楽しかった。戻れるならもう一度あの頃に戻って全箇所回りたいくらい。
と綴りながらメリーの曲を流していたら,「閉ざされた楽園」のアコースティックverが流れてきて,あぁ良い曲だなぁとしみじみ感じた。ライブで聴くともっと良いのだよなぁみんなで合唱するところも好き。
こんなにも大好きな曲がたくさんあるのに,楽しかったライブの思い出もあるのに。
どうして一番新しいミニアルバムの曲は受け入れられないんだろう。
いけるかと思って挑戦してみたけど……うーダメだ……。
ただ一曲だけ,「最後の晩餐」だけは聴ける。これが最後の輝きにならないことを祈ります。ガラの書くこういう感じの歌詞が好きなんだけどな。
上記の文章を書いてからしばらくたった今年の2月。健一の脱退が発表されました。
居ても立っても居られず、急遽神田明神ホール行きを決め、いざ東京へ。
そこで目にしたのは、残酷すぎる現実でした。
健一は、バンドマンのくせにファンとの交流が苦手で、人見知りで、口下手な人です。
握手会やサイン会でも目を合わせてはくれないし、フリートークの時は手が震えていました。
でも、ライブが始まると人が変わったように全力でギターをかき鳴らし、ステージ上でグルグルと円舞する姿を見せてくれるのです。
そんなギャップに魅せられて彼のファンになりました。
脱退が発表されてから始めてのライブ。アンコールでとうとう健一は口を開きました。
普段はMCをしない彼が、声を震わせながら、涙を堪えながら、
「みんなが新しいことに挑戦して頑張っているのに、自分は変われなかった。」
「自分の力不足ですみません。」
と謝ったのです。謝らなくても良いことを、ファンに向かって、謝った。
わたしには、拷問にしか見えませんでした。メンバーもスタッフも、どうしてこんなに健一を追い詰めるんだろうと怒りすら覚えました。
フォローらしいフォローもないまま、ライブは続行します。
奏でられる曲たちは、どれもこれも好きだった曲。全力で暴れていたはずの曲。
音は感情を無くし、歌声は嘘にしか聴こえない。
太陽のように輝いていたバンドが、眼前で急速に錆びついてボロボロに崩れ落ちていく様子を見て、哀しみと怒りとやるせなさに襲われました。
しかも、錆びつかせている原因は、あんなに大好きだったはずのメンバー自身。
"狂い咲け 燃えて散れ 闇に降る星になれ 羽を広げ 歪んでる この世界を切り裂いて"
いつかのライブで「梟」を歌うガラの背中を見て、
「この人たちなら、もっと高いところまで行ける。どこまでもついて行こう」
と誓ったはずなのに。信じられたはずなのに。
音が耳に届いても、姿を目で認識できても、心に届かなければ全くの別物になるのだということを知りました。
立ち尽くし、泣きつくし。
ライブが終わったあとに残ったのは、涙で濡れたマスクと、
「あぁ、わたしの好きだったMERRYはもうどこにもいないんだ」
という虚しさだけでした。
コロナウイルスの関係で、健一のラストライブも延期されたけど、これからどうなるんだろう…。本当にいろんな意味でタイミングの悪いバンドだと思う。
ほんの少しだけでも音楽の神様に愛されていたならば、違う未来があったかもしれないのに。
追記(7月26日)
コロナウイルスの影響でライブ活動の再開もままならない中、メリーサイドからとんでもない要望が出されました。
それは、8月からライブツアーをするためにファンから寄付を募るというもの。
クラウドファンディングでもなく、事務所を通してでもなく、メンバー個人の口座への寄付。
最初に目にした時は混乱してしまって、詳細ページもまともに読めなかったけれど、冷静になって読み返してみると色々と酷い内容だと気づきました。
案の定、ネット上での反応は酷いもの。上記したように、メリーはどん底の状態にいるというのに、わずかに残った献身的なファンの心すら折っていくなんて正気の沙汰じゃない。裏を返せば、それだけ追い詰められているということなのでしょうが……。
PMのテツさんの精神状態が心配……潰れなきゃいいけど、youtubeやTwitterでリアルタイムの反応が見れる現代なら、いつ潰れてもおかしくない気がする…。
今回の寄付の件は、私のように既に心が離れている人の心も抉るだけのダメージがありました。
大好きだった頃のMERRYが戻ってくる可能性はゼロに等しいって理解してはいたけど、底無しに落ちていく姿が見たかったわけじゃない。
せめて、最後は笑顔で見送りたいと思っていた。別れ……健一のラストライブくらいは、リアルタイムの5人の音を余すことなく体感したいと思っていた。全身全霊で感情を溢れさせたいと思っていた。
キラキラ輝いていて、高い目標に向かって羽ばたこうとしている彼らを、偽りでもいいから見たかった。
わからない。
目の前の画面に映る彼らはこんなに魅力的なのに、歌も音も曲も心を掴んで離さないのに。その先の未来が、どうしてこんなに真っ暗闇なのか。もがいてももがいても光が見えないところまで来てしまったのか。
寄付をして過去に戻るっていうなら出せる分だけ出す。もう一度2014〜2017年の輝きを見せてくれるなら、あの頃に戻れるっていうなら戻りたい。
でも、健一の脱退が決まっている以上、そんな未来はありえない。過去は戻らない。MERRYじゃないナニカを追いかけるために意味不明なお金を出すなんて、わたしにはできません。
今からでも良いから、せめて「9月の野音を実施するための寄付」に変えて欲しい。
ライブハウスでツアーをするのは無理だとしても、野外かつ広い野音ならまだ希望がある。
それじゃライブハウスのキャンセル料が払えないっていうんなら、これまでの感謝と健一への餞別も兼ねてちょっとは無理するから……。頼むから野音だけに絞って欲しい。
もちろん、寄付という形式に疑問がないわけではないですが、野音で健一のラストライブを見る方法がそれしかないって言うんなら、進んで騙されにも行きます。それだけ盲目なNMNLだったんだから。
色々書き連ねましたが、単純明快に今の気持ちを表すならば、
辛い。
ひたすらに辛い。
この文章を打ちながら、何度泣いたかわからない。
中途半端に情報を追いかけちゃうから辛いのかなぁ……。全部シャットダウンしちゃったら楽になれるんだろうけど、楽しかった思い出も大好きなライブ映像も定期的に振り返っちゃうから完全に切るのは無理……。畳む